「攻めのIT」という単語を見かける。既存業務をITに置き換えるなどで効率化をはかるのみでなく、ITを軸として売上や開発・競争力などを強化していくことを「攻め」と呼んでいるようだ。
米国では既に多くの企業が ERP や CRM などを始めとした IT システムの大規模な導入を行っており、日本よりも IT への投資が積極的であり、その分野も「攻め」に重点が置かれていると言われる。この違いはどこから来るのだろうか。
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攻めのIT導入に必要な「経営陣の確信」
まず大きく違うのは IT への期待値だろう。米国では「ITが企業を変革すること」に疑問がない。周囲の企業が成功しており、その手段が確立しているのだから、それを導入することで成果が得られることについては、米国経営者にとっては特に疑問を抱く必要もない単なる事実であり、単に予算とやり方の問題である。日本企業とそのマーケットには未だそれがない。ないから確信を持ってITへの投資を決断できない。鶏と卵だ。
大規模なITの導入というのは実のところ「プロセス」「プラクティス」の導入と同義だ。業務プロセスを場合によっては根本から変革し、業界で先行している「うまくいくはずのやり方」に強制的に合わせさせるのがIT導入の意味である。つまりITを業務プロセスに合わせるのではなく、逆に業務プロセスをITにあわせて再構築するのだ。例えば「ITIL・ITSM準拠のITツールを導入する」ことで業務プロセスそのものをそうした業界のベストプラクティスに合わせてしまう。プロセスが主眼であり、ITはむしろ支援と強制力である。
つまりITの導入というのは得てして既存プロセスの破壊になる。それが故に、社内の反発は大きく、コストも決して無視できず、また現在動いているものを大きくいじるのだから業務が破綻しかねないリスクもある。まして日本企業のように、各担当部門が個別に最大限「努力」してしまう文化では、プロセスの破壊は努力の否定に見えかねず、反発は巨大なものになりうる。
これを乗り越えてITシステムを導入させるには、どうしても導入を先導する経営者が揺るぎない確信を持っていないといけない。予算をつけ、社内政治を整理し、反発する現場に導入を受け入れさせる事を「当然必要なこと」として自己正当化できている必要がある。
米国経営者の立ち位置とIT改革の容易さ
米国の経営層は基本的に「経営職(Executive)」という職種である。彼らは会社経営という分野の専門職であり、その方面の専門スキルを持って経営職ポジションに転職し、経営という業務を遂行する。キャリアパスの回で少し書いたように「スキルレベルを上げてクラスチェンジ」ルールは幹部についても同様で、米国企業の幹部、VP 以上や CxO 職は言うならば「企業経営 Lv.3」や「組織運営 Lv.4」などの経営スキル、加えて CIO などの専門経営職は「IT戦略 Lv.3」「ITシステム導入 Lv.2」などの分野専門スキルを持っている。
米国でこうした経営層が新たに雇われた場合になにを期待されているか。例えばよくある例では「既存の問題によって前の幹部が解雇された。新しい人にはそれを解決して欲しい」ので、早々に新しいアクションが求められる。実際こちらの幹部は採用されるとまず前任者の否定から始めることが多い。「あいつのやり方じゃダメだ。俺が正しいやり方を見せてやる」というやつである。
給与の高い彼らは、幹部として雇われてから比較的短期に目に見える成果を上げる必要があり、またその対象も事業部門なり全社なりと広い。何もないところから手っ取り早く何かしらの成果を出す方法がそこらにたくさん転がっているわけでもなく、ゼロから全てを作り上げる時間もコストもない中で、多くのプロ経営者が定石として使うのがITシステムの更新なのだ。
例えば ITIL であったり ERP であったりという業界のベストプラクティスと関連したものは「既存の問題の認識とその解決」がテンプレートとなったものだ。導入手法もある程度確立しており、世間に事例も多く、周囲にも説明がしやすい。特に CIO などは「前職で○○システムを導入することで業務プロセスを改革しコストをX%カット、○○の期間をXX日短縮」のような話が彼らの履歴書に記載される。またそうした定石は、懇意にしている特定のITソリューション導入会社と組んで行うことも多いため、それも含めて手札にできる。そんなわけで米国の会社では「ITシステムによるビジネスプロセス改革」が銀の弾丸として頻繁に持ち込まれるのである。
日本企業でのITシステム導入の難しさ
そもそもの「社内IT」という仕事自体が政治の固まりみたいなものである。というのもITは本質的に社内の業務プロセスをサポートするものであるが故に、その変更は必ず社内の何処かの部署に業務の変更をもたらすわけで、当然ながら変化への反発と逆に推進したい側の意向がぶつかる社内政治の戦場と化すわけだ。
特に日本企業の現場は与えられた状況に我慢し、その条件下で最大限の努力と局所最適化を行ってしまっていることが多く、全体効率のためにプロセスを変更すると言われても「俺達の努力を否定するのか」という感情論・政治論になりやすい。それは米国ですらそうで、ITマネージャーに「政治的にスタッフを守る」「ITチームの正しさをきちんと裏打ちする」役割が求められるという事実が逆説的にそれを裏付ける。
米国の場合はそれでも基本的にはトップダウン組織であることが多いので、CEOやCIO といった経営トップがスポンサーになって導入自体は決断されるし、それに乗れない人は最終的には解雇されることもあるので、力ずくでも意思決定はされる。
一方の日本企業では人事の都合上、外部から明示的にプロを雇える米国と違って経営陣に必ずしもITのプロがいるわけでもなく、それ故の問題としてまず経営陣の理解を得るのに果てしない説明を要し、経営層のスポンサーを得てもトップダウンが弱いため各部を説得して社内合意を得ることにものすごいレベルの政治力が必要になり、その上で導入時には半端なく強い現場をどう説得して進めるかという超人レベルの精神力が必要になる。
人間、周りから強く否定されるような話はどうしたって進めにくいものだし、往々にして妥協案を出したくなるものだ。しかしITシステムの導入目的が既存プロセスの改革であり、そのプロセスはITシステムが規定している場合、そこで妥協してしまうと業務プロセスは改善されず、ITシステムは膨大なカスタマイズを抱えることになる。この辺が日本でIT導入がうまく進みにくい原因のひとつだと思う。
ここを押し切るには、推進する幹部自身がIT導入の正しさを確信している必要がある。そしてその確信は多くの場合、プロとしての膨大な専門知識と過去の成功が支える。組織構造的にどちらも得るのが難しく、現場の反発もより大きい日本企業の経営者がIT導入を確信して進めるのが難しい所以ではなかろうか。