ビジネス新書みたいなタイトルを付けてみたのはさておき、日本企業の生産性がどうのという話をする際に「検討」というキーワードは避けて通れない。
日本の特に大企業でなにかをやろうという際には膨大な「事前検討」が欠かせない。検討資料が作られ、上司に事前レビューされ、打ち合わせで説明が行われ、コメントされ、コメントを反映するために更に追加の検討が行われ、確認のために打ち合わせが再度、再再度、再再再度設定され、と、これが下から上に向かって階層の数だけ繰り返される。またこうした事前検討の多くは机上検討で、あちこちから情報収集をし、情報収集のために打ち合わせをし、それを整理をして資料にまとめてという行為を繰り返す。こうした検討は、関係する全ての人々が「納得」するまで続く。
結論から言えばこんな「検討」は無駄だから止めるべきだ。
「検討」は金を稼がない
コミュニケーションは金を稼がないという話は以前書いたが、同様に「検討」も金を稼せがない。検討が価値を生むのは少なくとも検討を踏まえて「決断」が成された時点からである。生産性を考えるのであれば、金にならない行動は可能な限りで最小にするのが基本なのだから、検討に費やすコストと時間は必要最小限にするべきだ。
「検討」は経験値を増やさない
ゼロとは言わないまでも、検討をいくら続けても蓄積できる専門性や経験値はたかが知れている。特にスペック比較や市場調査などの机上検討は率直に言って本質的な知識や経験をほぼ全く増やしてくれない。多くの場合において深い経験をつめるのは実装や運用のフェーズに入ってからである。
今の時代、特にクラウドサービスであれば多くは5分もあればテストアカウントを作って試し始められるし、クレジットカードでもあれば本番環境での小規模な利用を試すこともできる。検討と言っても少なくとも早々に現物に触るべきだ。少なくともほぼ何の役にも立たない、往々にして自社が優位だと恣意的に言うだけの「機能比較表」のような〇×表を作っている場合ではない。
「検討」は無限に続けられる
検討はつまるところ決断の先送りなので、十分検討したという客観的な指標に乏しい。意思決定者が必要だといい続けていれば検討はいつまでも際限なく続けられる。
日本企業の意思決定者は、少なくない割合で残念ながら、部下から上がってきた資料に「コメント」することが仕事だと思っている。コメントを受けた下のものがどうするのかと言えばそれは「追加検討」するのである。端的に言って無駄でしかない。意思決定のために追加の検討が必要なのだとしたら、意思決定者は「意思決定のためにはこの点の検討が必要である」と調査事項を明示すべきであり、それ以外の検討は意思決定に不要なのだから無駄である。
生産性に寄与する意思決定とは「やらないことを決めること」だ。検討を増やすだけの意思決定は生産性に対して害である。